中畑キヨシ、グリエルをめぐる巨人との争奪戦に完勝!5億円の価値は!? [スポーツ]
どうも~。いつもの情報屋さんです。
今回は、プロ野球の話題について書いていこうと思います。
まずは、取り上げたニュースの紹介から。
ここで、プロ野球にほとんど詳しい私は、そもそも、グリエルってどんな選手なんだろう?という疑問を持ちました。
ということで、さっそく調べてみました。
数字だけ見るとそこまでパッとしないように思うのだけど、どうなんでしょう。
てことで、某所の掲示板を覗いてみました
ざっと、以下のような事を言われていました
~某所でのうわさ(去年の活躍編)~
・内海(巨人)相手に3安打打つとか十分すごい
・強肩だけど、守備範囲が狭い(らしい)
・来季は.350 40HR 120打点 は残すから・・・(震え声)
・期待ハズレっていうけど、去年9月からオフなしキャンプなしで1年フル稼働なんだよ(疲れが出た?)
(グリエル選手はキューバリーグで去年9月~4月までプレーしたのち、6月に来日しプレーしていたようです)
といった感じで、擁護するコメントもちらほら
では、5億円の価値はあるのでしょうか?
またまた、某所を覗いてみました。
~某所でのうわさ(契約後編)~
・グリエル見たさに球場行く人もいると思う。入場者増の利益そのまま還元は利にかなってると思う
・巨人との争奪戦に勝ったのは大きい。クルーンの二の舞にならなくて良かった
・金銭面よりもポジションの確約が条件として上回ったのでは?
・三番グリエル、四番グリエル・・・あかん、優勝してまう
(どうやら、もう一人は弟のユニエルキス・グリエルの事を言ってるらしいです)
・2年総額7億円って記事もあるから、年俸3億5千万円で出来高払いで残り1億5千万円ってことかな?
・DeNAは頑張ったよね、軍資金一杯出してくれて嬉しい
といった感じで、どうやら前向きな話が主流でした。
ちなみに、今までのプロ野球選手の最高年俸はいくらなのでしょう?
らしいです。うっ、めまいが!
私の感覚としては、ヤクルトのホーナーが年俸3億円で当時破格ですげーって思った記憶があったくらいでした・・・。
今はインフレを起こしているのかな?
といっても、メジャーリーグでは目が飛び出る程の年俸だったり、海外のサッカーリーグとかアメフトとか上には上がいますけどね。
ところで、グリエルのハートを射止めたDeNAの現監督、キヨシこと中畑清監督とはどういった人物なのでしょうか?
とても、興味深い略歴の持ち主のようですね。
巨人黄金期の終わりくらいに入団し、後輩に現巨人監督の原辰徳がいて・・・
いやー、濃い現役生活ですねえ
当時は監督に調子を聞かれて「まあまあです。」って答えてたのもちょっと意外だった(笑)
来年は、グリエルと中畑監督率いるDeNAに期待したいところですね。
せめて、9年間遠ざかっているAクラスに入って、クライマックスシリーズに進出してもらいたいです。
ではでは!
今回は、プロ野球の話題について書いていこうと思います。
まずは、取り上げたニュースの紹介から。
[ グリエル5億円残留!キヨシDeNA、巨人との争奪戦に完勝 ] DeNAがユリエスキ・グリエル内野手(30)と来季残留で大筋合意した。 1年契約で年俸は総額で推定5億円となる模様。 この日、東京都内のパーティーに出席した中畑清監督(60)は、 「野手は揃った。抑えが決まれば優勝宣言できる」と来季Vの手応えを口にした。 |
ここで、プロ野球にほとんど詳しい私は、そもそも、グリエルってどんな選手なんだろう?という疑問を持ちました。
ということで、さっそく調べてみました。
[ ユリエスキ・グリエル ] 引用:Wikipedia-ユリエスキ・グリエル 出身国:キューバ 生年月日:1984年6月9日(30歳) 身長:183cm 体重:89kg ポジション:二塁手、三塁手、遊撃手 年俸:1億円(2014年) ◎2014年成績 62試合、239打数、73安打、11本塁打、打率305、30打点、40三振 |
数字だけ見るとそこまでパッとしないように思うのだけど、どうなんでしょう。
てことで、某所の掲示板を覗いてみました
ざっと、以下のような事を言われていました
~某所でのうわさ(去年の活躍編)~
・内海(巨人)相手に3安打打つとか十分すごい
・強肩だけど、守備範囲が狭い(らしい)
・来季は.350 40HR 120打点 は残すから・・・(震え声)
・期待ハズレっていうけど、去年9月からオフなしキャンプなしで1年フル稼働なんだよ(疲れが出た?)
(グリエル選手はキューバリーグで去年9月~4月までプレーしたのち、6月に来日しプレーしていたようです)
といった感じで、擁護するコメントもちらほら
では、5億円の価値はあるのでしょうか?
またまた、某所を覗いてみました。
~某所でのうわさ(契約後編)~
・グリエル見たさに球場行く人もいると思う。入場者増の利益そのまま還元は利にかなってると思う
・巨人との争奪戦に勝ったのは大きい。クルーンの二の舞にならなくて良かった
・金銭面よりもポジションの確約が条件として上回ったのでは?
・三番グリエル、四番グリエル・・・あかん、優勝してまう
(どうやら、もう一人は弟のユニエルキス・グリエルの事を言ってるらしいです)
・2年総額7億円って記事もあるから、年俸3億5千万円で出来高払いで残り1億5千万円ってことかな?
・DeNAは頑張ったよね、軍資金一杯出してくれて嬉しい
といった感じで、どうやら前向きな話が主流でした。
ちなみに、今までのプロ野球選手の最高年俸はいくらなのでしょう?
~ 歴代高額年俸 トップ5 ~ 1位 ペタジーニ (2003年 巨人) 7億2000万円 2位 佐々木主浩 (2005年 横浜) 6億5000万円 2位 李承燁 (2007年 巨人) 6億5000万円 4位 松井秀喜 (2002年 巨人) 6億1000万円 5位 ウッズ (2005年 中日) 6億0000万円 5位 カブレラ (2006年 西武) 6億0000万円 (2013年時点) |
らしいです。うっ、めまいが!
私の感覚としては、ヤクルトのホーナーが年俸3億円で当時破格ですげーって思った記憶があったくらいでした・・・。
今はインフレを起こしているのかな?
といっても、メジャーリーグでは目が飛び出る程の年俸だったり、海外のサッカーリーグとかアメフトとか上には上がいますけどね。
ところで、グリエルのハートを射止めたDeNAの現監督、キヨシこと中畑清監督とはどういった人物なのでしょうか?
[ 中畑清 ] 引用元:Wikipedia-中畑清 生年月日:1954年1月6日(60歳) 出身地:福島県 身長:185cm 体重:90kg 現役時球団:読売ジャイアンツ ポジション:一塁手、二塁手 プロ入り:1975年ドラフト3位 出場期間:1977年~1989年 <エピソード> ・入団当時は、王貞治、張本勲、土井正三、高田繁らが現役で活躍し選手層が厚かったので1軍での出場機会 が無かった ・3年目オフに開催された日米野球でホームランを打った事により評価を上げ、1軍に定着するようになった ・1981年、原辰徳が入団。一塁・中畑、二塁・篠塚、三塁・原の布陣で1973年のV9以来の日本一となる ・1989年、三塁への再コンバートが試みられたが、シーズン序盤で怪我をし、長期離脱後、その年に引退する 事になった ・代名詞である「絶好調」は、当時コーチだった土井さんに、 「監督に調子を聞かれてまあまあと答えたら使ってもらえるわけないだろう。『絶好調です』って言え!」 とハッパを掛けられ、実際に使った事から来るらしい ・現在のDeNAには2012年から監督となり指揮をとっている |
とても、興味深い略歴の持ち主のようですね。
巨人黄金期の終わりくらいに入団し、後輩に現巨人監督の原辰徳がいて・・・
いやー、濃い現役生活ですねえ
当時は監督に調子を聞かれて「まあまあです。」って答えてたのもちょっと意外だった(笑)
来年は、グリエルと中畑監督率いるDeNAに期待したいところですね。
せめて、9年間遠ざかっているAクラスに入って、クライマックスシリーズに進出してもらいたいです。
ではでは!
Jリーグ2014年度MVPの遠藤保仁選手の来歴と、Jリーグのこれまでを振り返ってみる [スポーツ]
みなさん、こんにちは
今回はJリーグ2014シーズンのMVPに輝いた遠藤保仁選手とJリーグを振り返っての思いを書きたいと思います。
遠藤選手といえば、コロコロPKが有名なのですが、
このキックを編み出したのは高校時代らしいです。
しかも、プロに入ってからPKを失敗した回数がたったの2回との事で、なんとも凄いですね。
それでは、遠藤選手の来歴をザックリと書いていこうと思います。
<遠藤保二選手の来歴(Jリーグの活躍のみ)>
・1980年・・・3人兄弟の末っ子として生まれます。(おっとりとした性格は末っ子だからなのかな~)
・1995年・・・高校1年生にして高校選手権で優勝!(高校時代の優勝はこの1度きりだったようです。でも2年生の時にU-18日本代表に選ばれたみたいです。すげー)
・1998年・・・横浜フリューゲルスに入団。開幕戦でいきなりプロデビュー!しかし、クラブが消滅してしまい、悲しいJリーグ一年目を終えます。(T_T)
・1999年・・・心機一転、京都パープルサンガに移籍します。当時のチームメイトに三浦カズ選手や松井大輔選手がいました。
・2000年・・・チームが不調でJ2降格となってしまいます。
・2001年・・・サンガのJ2降格にともない、ガンバ大阪に移籍します。
・2002年・・・新しくチームの監督に就任した西野朗監督と運命の出会いを果たします。
・2005年・・・ついにチームをJリーグ優勝にまで導きました。(ガンバ大阪初のJリーグ制覇!)
・2008年・・・日本のチームとしては初のACL(アジアのクラブチームの頂点を決める大会)で優勝!(大会MVPにも選ばれました
・2012年・・・チームの不調でJ2降格となってしまいます。(サンガ時代を含め2度目の降格)
・2013年・・・J2降格となったチームに残留し、1年でチームをJ1に復帰させます。
・2014年・・・ガンバ大阪がJ1復帰の翌年にJ1優勝という偉業を成し遂げました。皆さんご存知の通り、遠藤選手がMVPに選出されました。
もちろん、遠藤選手は日本代表としても輝かしい活躍をしていますが、その事については、省略させていただきます。
申し訳ないです。
こうして見てみると、高校時代から光るものを持っていましたが、その素質をさらに引き出したのが、ガンバ大阪の監督だった西野朗監督でしょうね。
私の印象としても、ガンバ大阪でJリーグの上位に食い込み始めた頃から遠藤選手の名前をよく耳にするような気がします。
(違ってたらすいません><)
ここからは、私がJリーグを見てきて思った事を書いていこうと思います。
Jリーグが開幕したのは、1993年でした。
それまでは、サッカーのプロリーグというものは無かったんですよねー。
私が日本サッカーに興味を持ち始めたのは、1992年頃なのですが、
その当時は、読売クラブという実業団のチームが頭一つ抜けて強かったです。
そして、そのチームにはブラジルのプロリーグで揉まれて帰ってきた、あの三浦和良選手(カズ)がいました。
テレビの特集番組で「カズー、カズー!」って黄色い声援を受けていたのを覚えています。
そして、読売クラブに負けず劣らずの実力を持った日産自動車というチームがありました。(チームの主力選手に井原選手がいました)
当時、読売クラブと日産自動車の1戦は黄金カードと呼ばれ、特別な戦いでした。
そんなこんなで1993年、とうとうJリーグが開幕します。
当時はJリーグバブルという感じで凄く多くのお客さんがスタジアムに詰めかけ大賑わいでした。
外国からジーコやリネカー、リトバルスキーと言った大物選手も獲得し、まさに絶好調の極みといった感じでしたね。
一方、ガンバ大阪は、その当時、浦和レッズ、名古屋グランパスと共に「Jリーグのお荷物」と呼ばれるくらい弱かったです。
そんな3チームも今では、優勝経験のある強豪になっていますよね。
時代の移り変わりには目を見張るものがあります。
逆に当時、三浦カズ、ラモス、柱谷、北澤、ビスマルクといった名だたる選手を抱え、Jリーグのトップを走っていた読売クラブもといヴェルディ川崎は今やJ2が定位置のパッとしないチームになりさがってしまいました。
そういえば、今年はJリーグ発足当初はお荷物だった浦和レッズとガンバ大阪が優勝争いを繰り広げていましたね。
今期はレッズが第10節くらいから独走状態でしたから、ガンバも大変だったと思います。
ホント、サッカーは何が起きるかわからない。だからこそ面白いっていうのはあるんだけど。
今年でJリーグは22年が過ぎました。
長かったような短かったような。
その間には、アントラーズが主要タイトル10冠を達成したり、フリューゲルスが消滅して変わりに横浜FCができたり、カズがイタリアのチームに移籍して騒がれたり、
そんな色々あったJリーグですが、最近は実力のある選手はどんどん海外のクラブチームに移籍しちゃって何だかさびしいですねえ・・・
ちなみに、Jリーグ開幕当時からずっと現役の選手は三浦カズ選手(47歳)だけらしいです。
でも、サッカーって、運動量が多く激しいスポーツで長く続けられないらしいので、今でも現役で続けているって凄いことですよね。
ということで、後半はほとんど懐古話になってしまいましたが、これで終わらせていただきます。
ではでは!
今回はJリーグ2014シーズンのMVPに輝いた遠藤保仁選手とJリーグを振り返っての思いを書きたいと思います。
[ 遠藤 保仁 ] 引用元:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E4%BF%9D%E4%BB%81 生年月日:1980年1月28日(34歳) 身長:178cm 体重:75kg 所属チーム:ガンバ大阪 ポジション:MF 利き足:右足 |
遠藤選手といえば、コロコロPKが有名なのですが、
このキックを編み出したのは高校時代らしいです。
しかも、プロに入ってからPKを失敗した回数がたったの2回との事で、なんとも凄いですね。
それでは、遠藤選手の来歴をザックリと書いていこうと思います。
<遠藤保二選手の来歴(Jリーグの活躍のみ)>
・1980年・・・3人兄弟の末っ子として生まれます。(おっとりとした性格は末っ子だからなのかな~)
・1995年・・・高校1年生にして高校選手権で優勝!(高校時代の優勝はこの1度きりだったようです。でも2年生の時にU-18日本代表に選ばれたみたいです。すげー)
・1998年・・・横浜フリューゲルスに入団。開幕戦でいきなりプロデビュー!しかし、クラブが消滅してしまい、悲しいJリーグ一年目を終えます。(T_T)
・1999年・・・心機一転、京都パープルサンガに移籍します。当時のチームメイトに三浦カズ選手や松井大輔選手がいました。
・2000年・・・チームが不調でJ2降格となってしまいます。
・2001年・・・サンガのJ2降格にともない、ガンバ大阪に移籍します。
・2002年・・・新しくチームの監督に就任した西野朗監督と運命の出会いを果たします。
・2005年・・・ついにチームをJリーグ優勝にまで導きました。(ガンバ大阪初のJリーグ制覇!)
・2008年・・・日本のチームとしては初のACL(アジアのクラブチームの頂点を決める大会)で優勝!(大会MVPにも選ばれました
・2012年・・・チームの不調でJ2降格となってしまいます。(サンガ時代を含め2度目の降格)
・2013年・・・J2降格となったチームに残留し、1年でチームをJ1に復帰させます。
・2014年・・・ガンバ大阪がJ1復帰の翌年にJ1優勝という偉業を成し遂げました。皆さんご存知の通り、遠藤選手がMVPに選出されました。
もちろん、遠藤選手は日本代表としても輝かしい活躍をしていますが、その事については、省略させていただきます。
申し訳ないです。
こうして見てみると、高校時代から光るものを持っていましたが、その素質をさらに引き出したのが、ガンバ大阪の監督だった西野朗監督でしょうね。
私の印象としても、ガンバ大阪でJリーグの上位に食い込み始めた頃から遠藤選手の名前をよく耳にするような気がします。
(違ってたらすいません><)
ここからは、私がJリーグを見てきて思った事を書いていこうと思います。
Jリーグが開幕したのは、1993年でした。
それまでは、サッカーのプロリーグというものは無かったんですよねー。
私が日本サッカーに興味を持ち始めたのは、1992年頃なのですが、
その当時は、読売クラブという実業団のチームが頭一つ抜けて強かったです。
そして、そのチームにはブラジルのプロリーグで揉まれて帰ってきた、あの三浦和良選手(カズ)がいました。
テレビの特集番組で「カズー、カズー!」って黄色い声援を受けていたのを覚えています。
そして、読売クラブに負けず劣らずの実力を持った日産自動車というチームがありました。(チームの主力選手に井原選手がいました)
当時、読売クラブと日産自動車の1戦は黄金カードと呼ばれ、特別な戦いでした。
そんなこんなで1993年、とうとうJリーグが開幕します。
当時はJリーグバブルという感じで凄く多くのお客さんがスタジアムに詰めかけ大賑わいでした。
外国からジーコやリネカー、リトバルスキーと言った大物選手も獲得し、まさに絶好調の極みといった感じでしたね。
一方、ガンバ大阪は、その当時、浦和レッズ、名古屋グランパスと共に「Jリーグのお荷物」と呼ばれるくらい弱かったです。
そんな3チームも今では、優勝経験のある強豪になっていますよね。
時代の移り変わりには目を見張るものがあります。
逆に当時、三浦カズ、ラモス、柱谷、北澤、ビスマルクといった名だたる選手を抱え、Jリーグのトップを走っていた読売クラブもといヴェルディ川崎は今やJ2が定位置のパッとしないチームになりさがってしまいました。
そういえば、今年はJリーグ発足当初はお荷物だった浦和レッズとガンバ大阪が優勝争いを繰り広げていましたね。
今期はレッズが第10節くらいから独走状態でしたから、ガンバも大変だったと思います。
ホント、サッカーは何が起きるかわからない。だからこそ面白いっていうのはあるんだけど。
今年でJリーグは22年が過ぎました。
長かったような短かったような。
その間には、アントラーズが主要タイトル10冠を達成したり、フリューゲルスが消滅して変わりに横浜FCができたり、カズがイタリアのチームに移籍して騒がれたり、
そんな色々あったJリーグですが、最近は実力のある選手はどんどん海外のクラブチームに移籍しちゃって何だかさびしいですねえ・・・
ちなみに、Jリーグ開幕当時からずっと現役の選手は三浦カズ選手(47歳)だけらしいです。
でも、サッカーって、運動量が多く激しいスポーツで長く続けられないらしいので、今でも現役で続けているって凄いことですよね。
ということで、後半はほとんど懐古話になってしまいましたが、これで終わらせていただきます。
ではでは!